盆正月の海外背伸びラグジュアリー・会社員夫婦のふつうの旅行

ふつうの会社員夫婦ですが盆正月はちょっとだけラグジュアリーに海外旅行を楽しむのが趣味。ドバイ、アイスランド、フィンランド、ギリシャ・サントリーニ&アテネ、マレーシア・ランカウィ島などの旅行記です。

カテゴリ: テキサス旅行2003-2月

こんにちは! みかちかです😄
今回から、2003年(17年前💦)の私の初めての海外渡航と、それに続く計6回のテキサス旅行について書いていきたいと思います。
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初海外がテキサス?

私の学生時代は、途中まで世の中はバブルで、学生でも海外旅行は当たり前の時代でした。
(でも途中ではじけたので、就職は氷河期世代です😅)

が、私はそんなに家が裕福という訳でもないのと(バブル時代、無限にお小遣いの貰える友達とか普通にいました……(笑))、そんなに海外に興味はなかったので(英語も大嫌いでした!)行っていませんでした。


そんな状態で30代を迎えたのですが、ここでいきなりバレエにはまり……😁
ファンになったダンサーはロシア人だったのですが、当時はテキサスのアーリントンという街のバレエ団にいました。
(今(2020年現在)はボリショイ劇場バレエで、バレエ教師をなさっています)

小さなバレエ団で、当然日本公演もありません。
それで、思い切って現地の公演に行ってしまったという訳です。


旅行会社から鼻で笑われました(笑)

ですが、当時日本からテキサスへのツアーはありませんでした。


当時でもインターネットで航空券やホテルは手配できたのですが、今ほど便利ではありませんでした。

しかも私は海外渡航経験なし、英語しゃべれない(筆談ならなんとか)という状態なので、個人旅行は本当にできるのか……不安になります。
せめてツアーはなくても、大手旅行会社で手配してもらうのが安心かなと思い、カウンターに行ってみました。


旅程は、公演日と休めるギリギリの日程(仕事は繁忙期でした(笑))からおのずと決まってしまうため、その上で相談したのですが……。

ネットで調べたのより何倍も高額な航空券を提示され、しかもカウンターのお兄さんには
「(テキサスは)旅行で行くところじゃないですからね(笑)」
と鼻で笑われてしまいました😅


うーん、と思い、結局全部インターネットで手配してみました。
航空券は日本語サイトで取れたのですが、ホテルは海外ホテルを手配するようなサービスが日本にまだなく、ドキドキしながらアメリカの予約サイトで取りました。


当時関空からテキサス(ダラス・フォートワース空港)への直行便はなく、海外乗り継ぎとかとてもできる気がしなかったので、

伊丹→羽田、成田→ダラス・フォートワース空港

という旅程にしました。


ホテルはアーリントン付近のホリディ・インでしたが、今検索しても付近にホリディ・インはいくつかあって、どれか特定できずです💦


肝心のバレエのチケットは、メールで直接バレエ団に問い合わせをしました。
目当てのダンサーが踊るかどうかも聞いておきました(最重要ですね(笑))。
オンライン購入とかはなく、結局現地で直接購入しました(小さなバレエ団だったということもあって)。


ちなみに鼻で笑ってくれた旅行会社、昔は公社だったところですが(笑)、実母に聞いたら大昔はもっと偉そうだったそうで……新婚旅行の手配を頼んだけれどもすごく嫌な思いをしたそうです😅


情報集め

地球の歩き方でも、ダラスとフォートワースについては少し記載がありますが、アーリントンとなると全くありません💦
というのもアーリントンはダラスやフォートワースのベッドタウンなので、確かに普通は日本から旅行に行くようなところではないんですよね……。

ネットでも、まだ今のような旅行ブログ華やかなりしとはいかず、駐在家族さんが日記を書いておられるのを見つけるのが精いっぱいでした。


ただ、海外渡航関係の情報はそれなりにあって、アメリカの恐ろしい入国審査😅についても予習していくことができました。
特に女一人は入りにくいらしいです!
英語もできないのに、どうなるのか……?


結果としては無事に入国もでき、宿にも泊まれ、公演も見て帰国できたのですが、……まあ大変でした😅


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こんにちは! みかちかです😄
2003年(17年前)の私の初めての海外渡航と、それに続く計6回のテキサス旅行記です。

初海外フライトはつらいことも多かったのですが、北極圏の絶景には感動しました!
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成田空港へ


👆前回の記事はこちら

バレエダンサーの追っかけで、テキサス州ダラス……のベッドタウンであるアーリントンという、超情報の少ないところに行くことになったお話の続きです。


さて、大手旅行会社J社(笑)にフラれ。
当時の、今ほどは何でもあるわけではないネット環境でなんとか航空券やホテルを手配し。
まずは成田空港に向かいました。


さすがに国内線は乗ったことがあるので、伊丹→羽田のフライトは普通にこなせました(笑)。

そして羽田から成田へはリムジンバスで行きましたが、ここで到着前に身分証チェックがあったのにはびっくりしました!
三里塚の闘争とかがあるからでしょうか?
(三里塚については先輩が支援していたので、関西人なりにある程度は知っていました)

初めての国際線 アメリカン航空 成田→ダラス・フォートワース空港

成田空港がもはや魔窟に見えた海外初心者

そして初めて成田空港に着いたのですが、恥ずかしながら、もうこの時点でめちゃめちゃ緊張してしまいました。

それというのも、さんざん「海外は怖い」「日本と同じと思うな」という言説を聞いてきたせいで、もはや成田空港も犯罪者の巣窟に見えていました。
本当に今思えば笑い話ですが……。

なんとなく照明も暗くて重苦しいし、人がいっぱいでどこに並べばいいか分からないし。
そもそもチェックインの概念が今一つわかっていなかったので、これ本当にカウンターに並ばないといけないの? 予約しているんだから直接ゲートに行ったらいけないの??というレベルでした(笑)。
(国内線でも同じことをしたはずですが、あまり並んでいなかったのかそこは全然違和感がなかったんです)


でもとにかく地球の歩き方に載っているチェックインと出国手順を踏み、無事にゲートまでたどりつけました。
本当に当時、地球の歩き方はバイブルでしたね……。


狭い機内とCAさんの怖さに固まる私!

そして機内に入って、またショックなことが!
テキサスまでは当時確か往路13時間、復路15時間ぐらいのフライトだったと思うのですが、まさかエコノミーの座席がこんなに狭いとは知らなかったのでショックでした。

最初、ビジネスの座席を通る時点ですでに「こんな狭いところで12時間以上座っているのか、信じられない」と思っていたぐらいで、続くエコノミーの狭さは衝撃でした……。


当時まだスマホも電子書籍もなく、重い本を何冊か抱えて持ち込むぐらいしかできません。

機内エンターテイメントありましたが、今のようなものではありませんでした。
今(2020年)の主流は、メニューから観たい映画や番組を選んで、好きな時間にスタートさせて、何なら一時停止もできる、という形態ですよね。

当時はそうではなく、テレビみたいな感じでずっとローテーションで映画が流れているのです。
そういうチャンネルがいくつかあるのである程度選ぶことはできるのですが、タイミングが合わなければ途中からの視聴になります。


そして、何しろ空港ですら全員犯罪者に見えていた私(笑)、機内でも何があるか分からない!という気持ちでいっぱいで、フライト中はほぼ、カバンをかかえて自席で固まっていました😅
確か往路は、トイレにも行かなかったんじゃないかな……。


私は窓側の席で、隣は結構大きめの白人男性でした。
別に変な人とかではないのですが、やっぱり緊張しますし、CAさんも白人女性ですっごい怖かったし💦
日航との共同運航で日本語のアナウンスもありましたが、CAさんは全員アメリカン航空の方だったと思います。

何というか、ここのCAさんは本当に保安員!という感じでしたね~💦
客員にビシバシ指示をする人で、サービスしてくれる人、という感じでは決してなかったですね。
(もちろん飲み物や食事のサーブはしてくれるのですが……)
本来のCAの在り方としては正しいのかも……?


さらに、実戦(?)で英語を使うのが初めての私、飲み物のオーダーも通じません!
もう、本当につらかったです……。
これがトラウマで、今でもコールドドリンクはほぼオレンジジュース(発音しやすい(笑)!)しか頼まない私が形成されております💦


そんなこんなで、辛いことだらけのフライトでしたが、何しろ初めての海外渡航なのでまあこんなもんかとは思っていました(笑)。

北極圏の絶景に感動💕

初フライトの航路は、ベーリング海峡からカナダ沿いに回るルートでした。
乗る前はルートのことまで考えていなかったので、ルートを見た時にちょっと感動しました。
こんな地球の果て(失礼💦)みたいなところの上を飛ぶのか~!みたいな感じで。



雲海は国内線でも見るのでそこまで感動はしなかったのですが、
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流氷は驚きましたね~!
2月でしたので、こんなものも見えたのです。
(なお、これは復路に撮ったものです)
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最初は雲なのか、流氷なのか分からずでした。
というのも、流氷ってこんな上空から見えるものなのか、という疑問もありまして。
今見たら絶対雲じゃないと分かるのですが、当時は分からなくてずいぶん考えました。



これも復路に撮ったものですが、多分アラスカかカナダの北の方だと思います。
こういう、山のないうすーい陸地というのも初めて見て、不思議だなあ……とずっと眺めていました。
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機内エンターテイメントはしょぼいものの(笑)、当時でもエアショーやフライト情報は常にモニターに表示されていました。
それで外気温を見るだけでも興奮しましたね……!


往路の機内食、メインは緊張しすぎていたのか(笑)、撮っていません。
内容は覚えていませんが、アメリカン航空の機内食は、総じてまあめちゃめちゃまずくもなかったと思います。

朝食はこんな感じでした。
今思えば日韓線でももうちょっと豪華だぞという感じもしますが(笑)、私は下手な機内食なら菓子パンの方がいいタイプなので、これはありがたかったですね~。
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そして無事にダラス・フォートワース空港に到着し、恐怖のアメリカ入国審査に突入しました。
アメリカ、女一人旅に厳しいんですよ……。


続きます。
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こんにちは! みかちかです😄
2003年(17年前)の私の初めての海外渡航と、それに続く計6回のテキサス旅行記です。
(このシリーズはラグジュアリー度はゼロですがご了承ください😅)

初めての国際線、座席で固まったまま、テキサスにたどり着きました。
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初めての入国審査


👆前回の記事はこちら

バレエダンサーの追っかけで、テキサス州ダラス……のベッドタウンであるアーリントンという、超情報の少ないところに行くことになったお話の続きです。


怖いCAさんに震え上がりながら(大げさ(笑))、飛行機は無事にダラス・フォートワース空港に到着しました。

この便は、日本発なので結構日本人も乗っていました。
最終的にはほとんど乗り換えで別のところに行かれるようでしたが、アメリカはトランジットでも入国審査があるので、列には日本人がたくさんいて心強かったです。


が、事前にネットで調べたところ、アメリカって一人で入国する女性には審査が厳しいとか……。
アメリカで彼氏を作って、そのまま居つくのを警戒しているとのことでした。

で、私は見事に女一人旅……。
しかも旅行大手J社に鼻で笑われたとおり、テキサスに観光で来る人は当時ほとんどいない状態……。
(野球のダルビッシュ有選手がテキサスレンジャーズに所属するのはまだまだ後の話です)

さらに、当時の私はほとんど英語が話せません💦
(今でもそんなに話せませんが、当時はもっとひどかったです)
私は受験勉強を頑張ったタイプではないので💦基礎が出来ておらず、海外のネットゲームをよくやっていたのでそれでやっと英語が読めるようになった、そんなレベルでした。
ゲームをやる前は、英文なんて「絵」に見えていて、言語として頭に飛び込んでくることがなかったんですよ~。

それで、このバレエ追っかけ渡航を考えてから、旅行英会話のCD付きテキストを買って、通勤時に繰り返し勉強しました。
それだけの状態で、厳しいと言われるアメリカの入国審査をクリアできるのか……本当に不安でした。


ESTA導入前だったので入国カードに記入し、ホテルの予約メールやバレエ公演の案内をプリントアウトしたものを握りしめて入国審査に挑みました。
滞在目的、滞在日数、ホテルなど、入国審査で聞かれがちなことはすべて聞かれました。
滞在目的は「Seeing ballet performace」と答えたので、どのバレエ団かまで聞かれましたね~💦

こう書くとスムーズですが、何しろ英語が苦手だし、テキサス英語は聞き取りにくく(この時は自分が英語が苦手なだけだと思っていましたが、その後カナダに行くともうちょっと分かったので……)、また入国審査官は全くフレンドリーさはなく怖かったです……。
でも何とか答えて入国することができました。


入国の次は税関ですが、まずこの流れも初めてなのでよくわかっていなくてドキドキでした。
今では笑い話ですが、まず税関が「Customs」であることが分からない!
もちろん手元の地球の歩き方を見ればわかるのですが、一事が万事こんな感じていちいち調べないと分からないし、一人旅なので相談もできず、とても不安でした。


ちなみに、地球の歩き方は切ってばらばらにし、必要な部分をノートに貼り付けて、そのノートを見るようにしていました。
これは海外バレエ鑑賞を考えた時に参考にさせていただいたサイトの方が紹介していた方法で、荷物の減少&旅行客と分かりにくいという利点がありました。

今はスマホで何でも見られるので、こんな苦労はないですね~💦


そして税関を通ったのですが、この時の私の荷物は、ちょっとだけ大きめの女性用ビジネス鞄1つでした😅
2泊4日の旅程だったのと、冬だったので却って荷物が少なかったんですよね。
汗もかかないので、化粧品と下着程度で済みますので……。
(テキサスのダラス地方は、夏は40度にもなりますが、冬は大阪と同じぐらいの寒さです)

でも、これって今思えば、いかにも身一つで来てアメリカに居つく気満々!みたいな恰好ですよね……。

案の定税関で「荷物それだけですか!?」みたいに驚かれて、やばい……と思いました。
でも幸い、ここはそんなにツッコまれずに通ることができました。


緊張でフラフラになりながらも何とか入国でき、空港からタクシーで予約したホテルに向かいました。

ホリディ・インで火災報知機を鳴らす

タクシーでは特にトラブルもなく、予約メールを見せて無事にホテルに到着しました。

チェックインも予習通りに進み、部屋に到着😊
バレエ団のある、アーリントンのホリディ・インです。
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田舎のモーテルです。
何しろ様子が分からないので公演会場への近さで選んでしまったのですが、車もないし、周りになにもないのでちょっと失敗でしたね~。
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でも部屋とか設備は申し分なかったです😊
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窓から見える景色はこんな感じで、本当に何もないところでした。
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へーこれがアメリカか~、みたいな感じで眺めていました(笑)。
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そして、バレエ公演は到着日の夜にあるので、とりあえずお風呂に入りました。
日本人がやる海外でのお風呂での失敗と言えば、バスタブ以外の床を濡らしてしまって漏水というのが有名ですよね。
私はそれはさすがにやらなかった(日本のホテルも基本的に同じですから)のですが、なんと火災報知機を鳴らしてしまいました……。

お風呂のドアを開けたままシャワーを出したため、湯気で反応してしまったんですよね……。

でも、火災報知機が鳴ったのに誰も来ないし、周りの部屋の人も出てくるとかもないし、一応お風呂から出た後フロントに行ってしどろもどろの英語で説明してみたのですが、特に何の問題もありませんでした。
それはそれで、大丈夫なのかとは思いますが……😅


いきなりやらかしてしまいましたが、気を取り直して本命のバレエ公演会場に向かいました。


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こんにちは! みかちかです😄
2003年(17年前)の私の初めての海外渡航と、それに続く計6回のテキサス旅行記です。
(このシリーズはラグジュアリー度はゼロですがご了承ください……)

入国審査を乗り切って無事に入国し、目当てのバレエ公演を観に行きました。
公演は無事観られたのですが、そこからホテルに帰れなくなり……。
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バレエ公演会場は大学の中


👆前回の記事はこちら

ホテルの火災報知機を鳴らしたりしながらも😆なんとか身支度を終え、バレエ公演会場に向かいました。

会場は、テキサス大学アーリントン校(University of Texas Arlington、略称はUTA。みんなユーティーエーと言っていました)にある、テキサス・ホールというコンサートホールでした。


車がないのでタクシーを呼んでもらおうと思い、ホテルのベルに相談したところ(相談と言っても英語が話せないので、要望を紙に書いて持っていきました(笑))、ホテルの車で送ってくれるとのことでした。
(もちろん有料です)

担当はGaryさんという年配の白人男性で、無事会場に送り届けてくださいました。

が、この日はホールのちょっと手前で降ろしてくれたんですよね。
夜の大学は人通りもなく、ホールまで少し一人で歩く必要がありました。
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本当に笑い話なんですが、その時私はもうこれだけで死ぬんじゃないかと思いました(笑)。

私のアメリカのイメージは『マッドブル34』というマンガで培われてしまっていたので、アメリカで一人で歩いたら即殺されてしまうんじゃないかぐらいの感覚だったのです😅

※ マッドブル34というのはニューヨークの危険な地域を担当する警官のマンガで、公園を歩いただけで強盗に襲われるような感じなんです💦


もちろん、閑静なベッドタウンにある大学の中でそんなことが起こるべくもなく、無事ホールに着いてチケットも買い、公演も無事観られたのでした😊
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案内看板~。
写真は翌日に撮影したものです。
初日は本当にビクビクしていたので、カメラなんて出せませんでした(笑)。
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大学のホールといっても立派なつくりでした。
入口の白布のかかった長机が受付でした。
こういうのって日本と変わらないですね😉
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中はこんな感じです。
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座席も普通のコンサートホール風でした。
目当てのダンサーもたっぷり出演しており、無事に公演が観られてよかったです😊
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タクシーが呼べない! 大学構内に入ってこられない!

公演で目当てのダンサーを堪能したあとは、一旦ホールを出て出待ちをしました😁。
小さなバレエ団なので、他に出待ちをしている人はいませんでした(笑)。
ちゃんと目当てのダンサーも出てきたのですがこの日は声をかける勇気がなく、そっと帰るのを見守るだけにとどめました。
でも嬉しかったです💕


そしてホテルに帰ることにしましたが、タクシーを呼ぶ英語力はなかったので、劇場の人にお願いしようと思ってホワイエにいた若い男性スタッフに声をかけてみました。
すると、自分で呼ぶようにと、公衆電話を案内されてしまいました💦

というのも、この公園は地元の小さなバレエ団が大学のホールを借りてやっているもので、お客さんも関係者やそのバレエ団のバレエスクールの生徒が多かったので、おそらく受付やサービスの人員というか概念がなかったのだと思います。


そこは必死で、英語が苦手だからタクシーを呼んでほしい!と主張しました。
だってそれ以外に帰る方法がないですし……。
スタッフも困ってしまって(すみません……)、ついには事務所的なところに連れていかれました💦


応対してくれたのは、そこを取り仕切っているらしき金髪に真っ赤なスーツという女性で、うわあアメリカだ……と思いました(笑)。
いやそんなこと思っている場合ではなく、その方も「なんで自分で呼ばないの?」と連れてきたスタッフに不思議そうに聞くし、スタッフも「どうも外国人みたいで……」と押し問答状態になっていました。

めちゃめちゃ不安でしたが、結局その女性がタクシーに電話をして呼んでくれることになりました。
まさか呼ぶだけでこんなにもめると思わなかったので、本当にドキドキしました。

もし日本で日本語の話せない外国人が、ホワイエでスタッフにタクシーを頼んだら、普通になんとかすると思うんですよね。
なので、呼んでもらえないという可能性を考えておらず、もうパニックでした。
(とはいえ、アメリカでも、普通の商業ホールなら大丈夫だったのかもしれませんね)


さてなんとかタクシーも呼んでくれ、ホワイエで待つことになったのですが……これが全然来ない!
お客さんも、スタッフも全員帰っても来ない!😖

初めてのアメリカの、ひとけのなくなったホールで、いつまでもタクシーを待つ心細さ……。
本当に呼んでくれたのか聞こうにも、呼んでくれた女性のいた事務室も閉まり、みんな帰ってしまっています😢

しかし、2人の男性スタッフが最後までつきそってくれました😊
当直だったのか、私がいたから帰れなかったのかわかりませんが(聞く英語力がなく💦)、最後まで嫌な顔せずつきあってくれたのです。


どうも、タクシーは来ることは来たのですが、大学構内なのでゲートで追い返されてしまったようでした。
何しろ英語ができないので詳しく聞けず憶測ですが、つきそってくれていた男性スタッフが門衛の方まで聞きに行ってくれたりして、最終的にはタクシーに乗ることができました。
もしかしたら、スタッフが再度タクシーを呼んでくれたのかもしれません。
つきそってくれていなければ、自分では再手配もできず、大学構内に一人で取り残されるところでした。
本当に感謝しかありません😭


余談ですが、2人の男性スタッフは半袖ポロシャツでした。
テキサスとはいえ2月で、雪も残っている気候。
私はコートを着ているのに……。
「寒くないんですか?」と聞いたら(それぐらいは聞けました(笑))「寒くないですよ!😉」と元気なお返事でした😆

あと、そのうちお一人の名前(名札)が「JOJO」で、本当にジョジョっているんだ……と変な感心をしてしまいました(笑)。
(『ジョジョの奇妙な冒険』というマンガがあるので)


へとへとになってホテルに帰り、翌日も公演があるのでそれに備えて休みました。
今でもこのタクシー来なかった事件は、海外旅行のピンチ歴代2位です。
(1位は、この次のテキサス旅行で起こした、まさかの帰国便寝過ごし事件です……)

なお、食事はどうしていたかというと……?


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アメリカの郊外で、女一人旅・車なし・ホテルの周りに何もなし、という場合、食事をとる場所には悩みますよね。

私の場合どうしたかというと……食事をとるのを諦めて解決しました😋
(解決してない!!)

持っていたチョコレートで2泊4日をしのぐ


👆前回の記事はこちら


さて、なぜ断食のようなことになったかというと、

もうだいぶ無理だった

からです(笑)。


初海外&英語ができない状態でのテキサス旅行……。
実は、ホテルにチェックインした時点でもうかなり精神が限界でした😭


ホテルにもカフェやダイニングがあったようなのですが、無理すぎて近寄れない。
自分の好きで来ておいてなんですが、
もう、英語人としゃべりたくない……!😭
という状態になってしまいました。

目的がバレエ鑑賞で、アメリカの文化を楽しみたい!とか、外国人と交流したい!とかではなかったのもあると思います。


そんな訳で、バレエ鑑賞のための交通手配なんかは仕方ないのでやるのですが。
食事に関しては、英語をしゃべるぐらいなら、空腹を我慢したほうがマシ!
という精神状態になってしまいました。


幸い、機内でおやつに食べようと思って、ガーナチョコレートの個包装タイプを持ってきていました。
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それでお腹を紛らわせ、次の日もやはり食事をとる機会&気力がなく、残りのチョコレートのみが食事となりました。
初めてのアメリカ旅行を、ほぼ断食で過ごすことになってしまったのでした……。


ちなみにこの時、結構な風邪をひいていて……、それも辛かったです。

風邪はひいているし。
ご飯は食べられないし。
タクシーは来ないし。
周りの人は英語ばっかりしゃべるし(当たり前)。

なんだかもう辛いことばかりでしたが💦
憧れのバレエの王子様に会えたので💕目的だけは達せられた旅でした(笑)。


断食明けはアンティー・アンズのプレッツェル


話がちょっと飛びますが、結局その断食状態から脱却したのは、最終日に帰国便に乗るためにダラス・フォートワース空港に行ってからでした。

空港の売店でアンティー・アンズのプレッツェル(固いお菓子ではなく、ふわふわのパンタイプ)を買って食べたのですが、その美味しかったことと言ったら!😭
何しろ2日間少量のチョコレートしか食べていないだけあって、感動的な美味しさでした😆
sweets_pretzel


おかげで、今に至るまでアンティー・アンズの印象が非常にいいです(笑)。
日本では上陸してもなかなか根付かないチェーンですが……。


そんな訳で、初めてのアメリカ旅行の食事は

到着日の朝:機内食(軽食)
到着日の昼:抜き
到着日の夜:抜き
2日目の朝:抜き
2日目の昼:抜き
2日目の夜:抜き
帰国日の朝:抜き
帰国日の昼:プレッツェル1つ
帰国日の夜:機内食

という感じになってしまいました。
バレエのためとは言え(というかむしろ自分の英語力のなさのせいとは言え)、とても辛かったです!


ここまで読んでいただきありがとうございました😊

次回は、タクシーがなかなか来なかったバレエ鑑賞の翌日、
初めての海外旅行で交通事故に遭った話です。
(そんな……)

どうぞよろしくお願いします😊




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