本日5月2日は、伝説のバレリーナ、マイヤ・プリセツカヤの命日です。
(2015年没)
ブログの時系列的には少し前後しますが、実はこの時の旅のモスクワ到着日がマイヤ・プリセツカヤが亡くなった5月2日、ボリショイ劇場にバレエ公演(椿姫)を見に行ったのが翌日の5月3日でした。
(プリセツカヤが亡くなったのはドイツでなのですが)
その追悼の様子など、観光客が見知った範囲でですがご紹介したいと思います。
→モスクワ旅行の最初の記事はこちら
ソ連時代に名をはせたボリショイ劇場バレエの伝説バレリーナで、89歳で亡くなるまで引退せず現役ダンサー活動を続けていたダンサーです。
最近は日本で『ユーリ!!! on ICE』というフィギュア・スケートのアニメのキャラのモデルにもなっていましたね。
(プリセツキー(プリセツカヤの男性形)というスケート選手や、名前は違いますが容姿から明らかにモデルになっていると思われるバラノフスカヤという元ボリショイ劇場バレエダンサーが出てきます)
バレエ以外にもその美貌からモデルなどでも活躍されたそうですが、ソ連時代にスターリンの政策で家族や親戚が処刑されたり労働キャンプに連れ去られたり、またユダヤ系なので差別もあり、大変苦労(とひとまとめに言うのも何ですが……)された方です。
それでもソ連邦人民芸術家の称号を得、世界的に有名なバレエ・ダンサーです。
ちなみに私は70歳代の頃に一度日本公演で観たことがあります。
(牧神の午後のニンフ役)
我々は5月3日に『椿姫』(ノイマイヤー版)を観劇に行きました。
まず、入り口付近にすでに報道陣が詰め、映像を撮ったり観客を捕まえてインタビューしたりしていました。
ロビー備え付けのテレビではマイヤ・プリセツカヤの映像が繰り返し流されていました。
ホールに入ると、オーケストラ・ピットの前に舞台をふさぐようにカメラが集まっています。
ボリショイ劇場自体初めて(映像ではもちろん何度も見ていますが)だったのですが、きっとマイヤ・プリセツカヤ逝去関連で中継に来たのだなとはわかりました。
(逝去のニュースは知っていたし、もし公演の録画であれば後方から撮るはずなので)
これは自分の席から撮ったものです。
(ボリショイ劇場は、公演中でなければ撮影はOKです)
両端にもたくさんのカメラが。
バレエの幕が上がる前に放送があり、オールロシア語でしたが、状況とプリセツカヤの名前が出たことから、黙祷の呼びかけだなと分かりました。
その後全員起立し、黙祷を捧げました。
その様子をずらりと並んだカメラが一斉に撮影し、黙祷が済むとサッと片付けて退場。
ものすごく素早かったです。
その後バレエの幕があがったのでした。
その時の様子がyoutubeに上がっていました。
(絶妙に我々は写っていませんでした💦)
近くから日本語が聞こえて「戦没者の慰霊かなあ?」みたいな感じだったのでツッコみたかったですが💦時間もなかったのでやめておきました。
(でも確かにロシア語だけだと普通は分からないですよねえ……?)
ボリショイ劇場の入り口の左側の方で、献花スペースができていました。
(これは5月4日に撮ったので、3日にあったかどうかは不明)
たくさんのお花が供えられていました。
我々はお花は持っていきませんでしたが、そっと手を合わせて冥福をお祈りしたのでした。
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(2015年没)
ブログの時系列的には少し前後しますが、実はこの時の旅のモスクワ到着日がマイヤ・プリセツカヤが亡くなった5月2日、ボリショイ劇場にバレエ公演(椿姫)を見に行ったのが翌日の5月3日でした。
(プリセツカヤが亡くなったのはドイツでなのですが)
その追悼の様子など、観光客が見知った範囲でですがご紹介したいと思います。
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マイヤ・プリセツカ ヤ
ソ連時代に名をはせたボリショイ劇場バレエの伝説バレリーナで、89歳で亡くなるまで引退せず現役ダンサー活動を続けていたダンサーです。
最近は日本で『ユーリ!!! on ICE』というフィギュア・スケートのアニメのキャラのモデルにもなっていましたね。
(プリセツキー(プリセツカヤの男性形)というスケート選手や、名前は違いますが容姿から明らかにモデルになっていると思われるバラノフスカヤという元ボリショイ劇場バレエダンサーが出てきます)
バレエ以外にもその美貌からモデルなどでも活躍されたそうですが、ソ連時代にスターリンの政策で家族や親戚が処刑されたり労働キャンプに連れ去られたり、またユダヤ系なので差別もあり、大変苦労(とひとまとめに言うのも何ですが……)された方です。
それでもソ連邦人民芸術家の称号を得、世界的に有名なバレエ・ダンサーです。
ちなみに私は70歳代の頃に一度日本公演で観たことがあります。
(牧神の午後のニンフ役)
逝去翌日のボリショイ劇場での黙祷
我々は5月3日に『椿姫』(ノイマイヤー版)を観劇に行きました。
まず、入り口付近にすでに報道陣が詰め、映像を撮ったり観客を捕まえてインタビューしたりしていました。
ロビー備え付けのテレビではマイヤ・プリセツカヤの映像が繰り返し流されていました。
ホールに入ると、オーケストラ・ピットの前に舞台をふさぐようにカメラが集まっています。
ボリショイ劇場自体初めて(映像ではもちろん何度も見ていますが)だったのですが、きっとマイヤ・プリセツカヤ逝去関連で中継に来たのだなとはわかりました。
(逝去のニュースは知っていたし、もし公演の録画であれば後方から撮るはずなので)
これは自分の席から撮ったものです。
(ボリショイ劇場は、公演中でなければ撮影はOKです)
両端にもたくさんのカメラが。
バレエの幕が上がる前に放送があり、オールロシア語でしたが、状況とプリセツカヤの名前が出たことから、黙祷の呼びかけだなと分かりました。
その後全員起立し、黙祷を捧げました。
その様子をずらりと並んだカメラが一斉に撮影し、黙祷が済むとサッと片付けて退場。
ものすごく素早かったです。
その後バレエの幕があがったのでした。
その時の様子がyoutubeに上がっていました。
(絶妙に我々は写っていませんでした💦)
近くから日本語が聞こえて「戦没者の慰霊かなあ?」みたいな感じだったのでツッコみたかったですが💦時間もなかったのでやめておきました。
(でも確かにロシア語だけだと普通は分からないですよねえ……?)
ボリショイ劇場前で献花
ボリショイ劇場の入り口の左側の方で、献花スペースができていました。
(これは5月4日に撮ったので、3日にあったかどうかは不明)
たくさんのお花が供えられていました。
我々はお花は持っていきませんでしたが、そっと手を合わせて冥福をお祈りしたのでした。
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